コルサの毎日がヒルクライム

2018年03月

18日の最初は豊橋市瓜郷町にある弥生時代中期(約1,800年前)の
遺跡を訪問しました。
この遺跡は豊橋を代表する弥生時代の遺跡として知られ戦後、5回の
発掘調査が行われ昭和28年に国の史跡に指定されています。

発掘の成果として住居跡、竪穴群、いろいろな形式の土器
(この遺跡で見つかったもっとも古い弥生土器は瓜郷式土器と呼ばれる)
及び木製品(各種農具類)石器、青銅器などが見つかっています。

また、特に重要なのは炭化した籾が見つかっており水田跡は
見つかっていないものの稲作が行われていたことが確実視されています。

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とても立派な復元住居、もちろん柱穴の大きさ、位置や数から推定して
復元されているのでしょうが、こんなに高く立派だったんでしょうか?

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中も、とても広く意外に快適そう?(笑)

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古墳女子の為?、豊橋市内、東田中郷町にある東田古墳(あずまだこふん)
にも立ち寄りました。

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現在は墳丘上に御嶽社が建っています。
明治時代に御嶽社を作る為、丘と思われていたところを削ったところ、
直刀、鏡などが出土して古墳ということがわかり保存されているそうです。
東田古墳は前方後円墳で全長約40m、5世紀ごろに作られたと
考えられているようです。

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社殿裏にも回って見ましたが、残念ながら古墳の石材など明確に
古墳だという手がかりは見つけられませんでした。

※この日、他にも、いくつか回っていますが、それらはこの後の
 記事でアップします。
※間違いなどお気づきの点がございましたら遠慮なくご指摘ください。

前回、ご報告したように守山の古墳3基を巡りました。
その合間には守山自衛隊基地で戦車も見学・・・

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フェンス越しに戦車に見入るタキちゃんと古墳女子。

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ここに展示されているのは・・・
まずは懐かしい61式戦車。
戦後、日本で初めて自主開発されたという戦車。
500輌以上が作られたそうです。

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これは74式戦車。
まだ現役で活躍している兄弟もいると思いましたが・・・ 
時代は既に90式戦車、10式戦車(ひとまるしき)の
時代になりつつありますからね~

またまた2月24日の古墳巡りの記事です。
前回、前々回に味美古墳群の記事をアップしましたが、その後、
名古屋市守山市に住む、タキちゃんと合流し周辺の古墳を
案内してもらいました。

見学できたのは3基の古墳。
①守山瓢箪山古墳、②守山白山古墳③小幡南島古墳


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まずはタキちゃんの家から一番近くの守山瓢箪山古墳。
今回は市街地を自転車で回ることにしました。
タキちゃんの解説?を聞く一番弟子(古墳女子)
タキちゃんが子供の頃はフェンスがなく自由に登れたらしい。
木々の間からは3段築成?の様子が見えており古墳女子は
登りたくてうずうずしていたようだが、さすがにこれだけ
しっかりしたフェンスがあっては(笑)

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うまく全景の撮影は出来ず・・・
前方後円墳で全長63m5世紀末から6世紀初頭の築造と
考えられています。
周濠もあったそうですが現在は埋められて公園用地に
なっています。
それにしても二人は何をしてるのか?
どう見ても案内板を読んでいるようには見えないけど・・・

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次に案内してもらったのは守山白山古墳。
前方部から見たところ。

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後円部のうえには白山神社社殿が建っていました。

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左に前方部、右に社殿が見えるように、こちらが
後円部になります。
あれ~、一番弟子が何やら探しています・・・
埴輪片などを探していたようですが結局、何も見つから
なかったようです(笑)

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この日最後に訪れたのは名鉄小幡駅の北西にある小幡白山神社。

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ここも古墳の上に神社が建っていました。
手前が前方部になるようです。

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後方部に見つけた石組み。
一瞬、古墳の石室の一部か、あるいは石室の石材を
使ったものかと思いましたが・・・

古墳女子、鋭い観察眼で一言
「礫岩で石室に使われるような石材ではないと思います」
「えっ、ああ、確かにそうだね・・・」と私。
やはり、師弟の立場が逆転するのは、それほど遠い日では
ないかも(笑)

この後、予定では更に小幡の古墳、2基を見学の予定でしたが
日没間際になってしまった為、
またの機会にすることにしました。

タキちゃん、案内ありがとう。また次回もよろしく(笑)

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次は御旅所古墳、こちらも県指定遺跡になっています。
円筒形埴輪がめぐらされていたという事です。
直径30mの円墳で円筒形埴輪などから5世紀末から6世紀
初め頃に築造されたと考えられています。

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かつては円筒形埴輪がめぐらされていたという事ですが現在は
白山神社の一部として整備?され古墳と言う雰囲気は
あまりありません・・・

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3基の古墳がある二子山公園、ハニワの館があります。

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内部の様子。
古墳、埴輪などについて簡単な展示がありました。(もちろん無料)
3基の古墳からは多くの埴輪が出土しているそうで、
その為、埴輪類の展示もありました。
ただし、手前の埴輪群は出土品のレプリカなどではなく
近年、作られたもので形状も特にモデルがあ
るわけではなく
作った人の想像による部分も多いようです。

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次に向かったのは先にご紹介した3基の古墳からは西に
少し歩いたところにある春日山古墳。
後円部側から見たところ。

こちらは特に指定されていないようですが前述の
二子山古墳(国指定遺跡)、味美白山神社古墳(県指定遺跡)、
御旅所古墳(県指定遺跡)の計4基の古墳で味美古墳群を
構成しています。
しかし、かつては春日井市味美から名古屋市にかけて
数十基の古墳群集する大規模なものだったそうです。

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画像の中央奥が後円部、左手に前方部が広がっています。

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春日山古墳から二子山公園に戻る際に見た白山神社方面。
奥の森に手前、御旅所古墳、その奥に白山神社古墳があります。
信仰厚い神社のようで手前から鳥居がいくつも続いていました。


今回の味美古墳群は短時間で興味深い古墳が4基も観察する
ことが出来ます。
石室などを観察できる古墳はありませんが、かつて尾張北部に
支配下におさめた豪族を偲ぶのも良いかと思います。

※間違いなどお気づきの点がございましたら遠慮なくご指摘ください。

ここのところ、発掘説明会に友人との歴史ミーティングの実施で
充実(し過ぎ?)していて記事のアップが追い付きません(笑)

今回は以前行って(2月24日)アップしそこなっていた
春日井市の味美古墳群です。

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味美古墳群には4基の古墳が現存していますが、その中で最大の
二子山古墳(国指定遺跡)
墳長94m、盾形の周溝を(←「周溝」現地案内板の表記通り)
含むと116mの前方後円墳で6世紀前葉築造と考えられています。
画像は後円部から古墳を眺めたところ。

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こちらは二子山古墳を前方部から眺めたところですが大きな古墳の
常として「絵」になりにくい(笑)

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二子山古墳、周溝の様子。

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次に訪れたのは二子山古墳の北側にある県指定遺跡、味美白山神社古墳。
右に後円部、左に前方部、古墳を側面の南側から眺めています。
この古墳は全長86mの前方後円墳で古墳時代中期、5世紀末から
6世紀初め頃に築造されたと考えられています。

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味美白山神社古墳にも周濠(←「周濠」現地案内板の表示通り)
が残っています。

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前方部には白山神社の階段が設けられていました。

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そして後円部には社殿があります。
古墳石室の石材と見受けられる石などは見つかりませんでした。

※その2に、つづく
※間違いなどお気づきの点がございましたら遠慮なくご指摘ください。

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