コルサの毎日がヒルクライム

2018年10月

岐阜市歴史博物館を見学した時点で15時30分過ぎ・・・
迷いに迷い、結論は金華山に登ることにしました。

金華山には麓から、ぎふ金華山ロープウェイで一気に・・・
ただし往復1,080円なり(笑)

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頂上駅から少し歩けば岐阜城が見えてきます。

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さらに歩くと・・・

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金華山からの景色は素晴らしい!
でも険しい山の上によく城を作ったものです。

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素晴らしい景色を撮影しようとする弟子。

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お城に登ると更に素晴らしい景色が。
ちょうど「天使のはしご」が見えていました。

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右の屋根は岐阜城資料館です。

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岐阜城内の展示物を見学。

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17時が下界へ?降りる最終便とのこと。
一本前の16時45分に乗り込む。
ロープウェイから見た岐阜市街地。

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ロープウェイがけっこう急な傾斜を持つ山を行き来している
のがわかります。

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ちなみにこちらは乗る前の15時30分頃、
麓から撮影した金華山、岐阜城。

27日は愛知県埋蔵文化財センターの発掘説明会に行くつもり
だったのですが・・・雨っぽい。
そこで、いろいろ検索していたら文化庁主催?の
「発掘された日本列島 新発見考古速報2018」展が岐阜市歴史博物館で
行われており、その会期が10月31日までなのに気がついて?
しまいました(笑)
この展覧会は毎年、行われており
(場所は全国数カ所で行われ毎年違う場所で行われる)
昨年は弟子と安城市歴史博物館で見ました。

早速、弟子と相談すると「両方、行きたい!」(笑)
それは、もっともですが無理なので、いろいろ迷いに迷った末、
岐阜市博物館に行くことにしました。
(今週は遠出しないつもりだったのですが)

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発掘された日本列島 新発見考古速報2018」展は、ほとんど撮影自由!

新潟県、元ノ木遺跡(もとのきいせき)(縄文時代草創期)の
素晴らしい石槍の数々。

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弟子が食い入るように見ているのは縄文中期から晩期の千葉県加曽利貝塚の
貝塚はぎ取りパネル。
弟子もだいぶ貝の種類がわかるようになってきたが・・・

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同じく加曽利貝塚から出土の独鈷石。祭祀用の道具と言われるが具体的な
用途は不明。

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同じく加曽利貝塚から出土の山形土偶(右)、みみずく土偶(左)そして
左奥は耳飾りというが・・・
耳飾りは、どう見ても大き過ぎ?(耳たぶに穴を開けて装着したと言われる)

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同じく加曽利貝塚から出土の土器類、いわゆる加曽利式土器。

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こちらは私の地元、愛知県田原市の保美貝塚の紹介。
保美貝塚は縄文時代後期から晩期に出来た東海地方最大級の貝塚。

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保美貝塚の出土品。

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九州、福岡県の須玖タカウタ遺跡から見つかった青銅器と製作用の型。
これらは魏志倭人伝の奴国に関係するという説も・・・

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こちらの見事な弥生式土器は三重県の津市、松阪市周辺の
雲出川下流域遺跡群から出土したもの。

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同じく雲出川下流域遺跡群から出土した立派な高茶屋1号銅鐸。

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群馬県藤岡市、神田、三本木古墳群から出土の埴輪。

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福岡県の装飾古墳、王塚古墳の実物大レプリカ。
先日、見学した高松塚古墳やキトラ古墳とは違った装飾の
古墳に見入る弟子。

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福岡県の呰見大塚古墳(あざみおおつかこふん)から出土したという
素晴らしい装飾の付いた須恵器。
小さな壺、その間にイノシシ、鹿、鳥の装飾がついています。

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さて、「発掘された日本列島 新発見考古速報2018」展を見終え
更に続けて岐阜市歴史博物館の常設展を見学して出てくると・・・

岐阜市歴史博物館に隣接する名和昆虫博物館の看板を見つけ大興奮(笑)
自分は子供の頃、昆虫大好き少年だったので、ずっと来たかったのです。
しかし、歴史博物館の見学だけで既に3時間以上が経過し3時半・・・
結局、迷った末に名和昆虫博物館はあきらめ(泣)
ロープウェイで金華山に登ることにしました。

10月21日は天狗党カップ応援後、作手の道の駅で昼食。
午後からは弟子を長篠城と長篠の戦古戦場に連れて行きました。

まあ、二人とも戦国時代は詳しくないのですが地元という事で一度は
現地を見ておくべきだろうという事で連れて行きました。

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駐車場に到着。
もう向こうに見えるのは長篠城跡です。

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長篠城址、史跡保存館

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長篠城址の様子。

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長篠城址、すぐ脇に飯田線が走っています。

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熱心に城址を見て回る弟子。

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紅葉にはまだ、だいぶ早そう・・・

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長篠城址見学の後は、武田軍と織田軍の決戦場、三段打ちが行われた
という馬防柵を見学に行きました。
(最近では三段打ちはなかったとする説も有力)

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戦国時代は、あまり興味がなかったようですが・・・
少しは興味が、わいたかな?(笑)

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毎回、言ってますが・・・
絵にならない男なのはわかっていますが弟子が撮ってくれたので登場(笑) 

10月21日天狗党カップ、本宮山ヒルクライムレースがあったので・・・
参戦せずに(笑)セブンさんに乗って弟子と応援に行って来ました。
画像は弟子が撮影したものですが弟子のカメラではなく
私のカメラで慣れていないこともあり出来の方は・・・

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撮影した弟子(歴史勉強の仲間)
画像では愛機、ペンタックスを持っていますが天狗党カップの撮影は
私のニコンだったので慣れておらず大変だったみたいです(笑)

この場所は天狗党カップの日の夕方、立ち寄った長篠の戦、古戦場。
織田軍が火縄銃の三段打ちを行ったという馬防柵。

長篠城、馬防柵の記事
⇒ https://blogs.yahoo.co.jp/corsa2003sp/43146296.html

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瑞浪市化石博物館を見学、建物の外に出ると古墳の案内がありました。
さっそく建物の横に回って見ると・・・

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大島一号古墳がありました。
この古墳は瑞浪市釜戸町大島の中央自動車道敷地内にあり、
ここに移転復元されたそうです。
築造は7世紀末から8世紀初めと考えられているようです。

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ひょっこりはん?ポーズを決める弟子はともかく(笑)
石室の入り口などが立派なことがわかります。
画像ではわかりにくいのですが羨門部分左右に石柱が建てられています。
その石と羨道部の石垣がどこまで、もともとの物なのか私にはわかりません。
(石柱は玄室内から外を見た画像の方がわかりやすいかもしれません)

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石室の奥壁方向。
玄室は長さ約5m、幅約1.7m、高さ2.2mほどあるそうで
とても広い空間が印象的でした。
東農地方の代表的形式の古墳であると説明板に書かれていました。

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玄室内部から羨道部分を見たところ。
右側に片袖があるのがお分かりになるでしょうか?
また石室内には床面に石が敷き詰められていますが・・・
これも、もともとの物なのか私にはわかりません。

この後、恵那で栗きんとんを買って国道257号線を南下して
帰ることにします。
当初は、途中、岩村で岩村城を見学予定でしたが・・・
化石博物館で時間を使い過ぎ恵那市街を見下ろす阿木川ダムまで来た
ところで陽がくれてしまいました(笑)

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阿木川ダムから恵那市街地を見下ろしたところ。

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弟子は自慢のペンタックスで傑作を撮影出来たかな?(笑)

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阿木川湖の様子。

有料道路代節約の為、
これから山道を100キロ以上走って帰ります・・・(泣)?

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