コルサの毎日がヒルクライム

カテゴリ: 豊橋鉄道 田口線

今日は(2008/2/2)田口線 廃線跡の前回、通れなかった部分を訪ねてみました。
今回、行ったのは豊橋鉄道田口線廃線跡の「清崎第一トンネル」-「田峰駅間」になります。
(麹坂トンネル北側も含む)
いったん、田峰駅側(南側)から行きましたが崖崩れの為、断念。
国道で北上、清崎第一トンネルまで行き、今度は北側から
崖崩れの場所まで行くという行程になりました。

前回のレポートは、こちら↓
田口線 廃線跡を自転車で訪ねる その2
http://blogs.yahoo.co.jp/corsa2003sp/12942532.html
田口線 廃線跡を自転車で訪ねる その1
http://blogs.yahoo.co.jp/corsa2003sp/12815279.html


イメージ 1

まずは車を止めた場所から国道、県道他で稲目トンネルを目指します。
途中、田口線鉄道跡が町道?になっている所で今回も「お猿さん」に出会いました。
距離はわずか3メートルほどまで近づきましたが、この後さすがに威嚇されました。
前回、サルの群れにあったところの近くでしたが今回は、この一匹しか確認できませんでした。


イメージ 15

中央の桜の木にサルがいます。
サルに出会った、ここは海老の町のすぐ裏です(町並みがすぐ下に広がっています)。
このあと、サルは木をおりて山に行くかと思いきや町の方に下っていきました。
今の時期、柿やミカンがまだ、なっている所もありますので食料を調達に人家の方に
降りていったのかもしれません。


イメージ 2

稲目トンネル(ここも、もと田口線のトンネル)を抜け橋を渡ります。
このあたりに「田峰駅」があったはずです。
現在は、道路拡張、住宅などの建設で当時の鉄道の雰囲気は残っていません。


イメージ 3

田峰駅があったところの西側へ少し入ると、田口線ではありませんが、
わずかに当時の痕跡を見つけました。
これは田口線に連絡していた「田峰森林鉄道」のトンネルだそうです。
今回、トンネル上部斜面で工事をしていた為か通行止めでしたが普段は遊歩道として
使われていたはずです。

また、今回、見逃してしましたが、画像の背中側に当時の貨物線用ホームの
コンクリートが、ほんの一部ですが残っているそうです。


イメージ 4

田峰を過ぎると線路は川の対岸に渡っていました。現在、川に橋脚などの痕跡は見られません。
(後日ネットで調べると川底に橋脚の台座らしき物があるそうです)
画像にある林道用?の橋を対岸に渡って線路跡を探します。


イメージ 5

対岸に渡ると川沿いに林道があります。
林道とほぼ、重なって線路跡があったようです。
(橋の近くは少し違う)


イメージ 6

少し行くと林道が東に曲がっていきますが線路は、まっすぐ進んでいます。
通行止めの「トラ柵」の向こうに小さな鉄橋があります。


イメージ 7

こんな鉄橋が残っていました。
いわゆるアイビーム橋です。鋼材の断面が「I」型の為、このように呼ばれるそうです。
先にネタをばらしてしまいますが、この区間で4ヶ所の橋がありましたので、
ここを仮に「北から4番目の鉄橋」と呼ぶことにします。


イメージ 8

山側は、岩の崖のままの、ところもありますが、石垣のところもあります。
ここは石垣ですが残念ながら上部から土砂が崩れてしまっています。
廃線後、40年の月日を示すように線路跡には、たくさんの木がはえています。
(この画像は北側から南側を見ています。)


イメージ 9

更に先に進むと、線路跡が完全に崩落していました。
画像で見るとたいしたことない斜面のように見えますが実際、現地での感覚は、かなりのものです。
それでも、人が通ったこともあるような痕跡が見られます。
自分も何とか木につかまってなら渡れそうな気がしましたが自転車もあるので
今回は(笑)あきらめます。


イメージ 10

最初の橋まで戻って対岸の国道に渡り、北上します。
国道からは、先ほどの「北から4番目の鉄橋」(ここは、よく見える)以外にも、
2、3ヶ所ほど鉄橋らしき物が見えます。
画像は、この区間、北から3番目の鉄橋でしょうか。
だとすると(第3)清崎トンネルの入口も、すぐ左にあるはずです。
トンネルが、なんとなく見えるような違うような(笑)

他にも清崎第2トンネルの南側入口も国道からわずかに見えます。


イメージ 11

国道の清嶺トンネル入口手前から南に入ったところが「長原前駅」があったところだそうです。
画像は駅があったと思われるところから線路跡(田峰駅方面)を見ています。
このあたりに駅の痕跡は感じられません。
あえていえば道が、そこだけ少し広くなっていることでしょうか。

駅跡と思われる広い部分に今は「山神」様の石碑があります。
この石碑は鉄道時代は、当然、ここにはなく鉄道廃止後、
多分、国道が今の位置になった際に、移設された物だと思います。


イメージ 12

駅があったところから山側を良く見ると枯れ草の間から不気味に
「(第1)清崎トンネル」が口をあけています。
ここは夏になったらトンネルに近づくのはもちろん、トンネルを見つけるのも
大変になるかもしれません。


イメージ 13

「(第1)清崎トンネル」の南側入口はトンネル自体が崩壊しています。


国道トンネルを通って「(第1)清崎トンネル」北側入口を探してみましたが見当たりません。
もしかしたら清崎(第1)トンネル北側は現在の国道トンネルと重なっていたのかもしれません。


イメージ 14

「(第1)清崎トンネル」の内部は水没していますので、よほどの決意がないと(水に入る)
こちらからトンネル北側を探すことは出来ませんね?


 ※ 清崎トンネル群の正式名が分りませんのでネットで
   アップされていた名称を使っています。

 ※ この続きは「その2」にて。

2008年1月14日 
豊橋鉄道 田口線 廃線跡を自転車で訪ねました。
そのレポート第2弾です。

イメージ 1

三河海老駅の先も線路跡を車で通る事が出来ます。
そして県道32号線に出る直前、線路跡はここから左になります。
この民家は廃線後に出来たのでしょうか?それとも・・・


イメージ 2

上記の分岐を過ぎると、こんなジャングル状態に。
実は、ここが滝上駅です。画像右側寄りを良く見ていただくとホームの
コンクリートが見えるかと思います。

1月で、この状態ですから夏ごろ訪れるとホームにたどり着くことすら
大変な状態でしょう。
訪ねるなら草が生える前、今の時期がよいですね。


イメージ 3

滝上駅を出ると直ぐに小さな海老トンネルです。
ここは、直ぐ東側を県道32号線が走っています。
このトンネルは近所の人が資材置き場に使っています。
このトンネルは通れます。


イメージ 4

海老トンネルを出て少し進み稲目トンネル手前から振り向いたところ。
中央石垣上のポールの右側に「お猿さん」が2匹こちらを見ているのが判りますか。
この2匹の他にもサルが何匹か林の中にいるのがわかりました。

この右側の石垣の上が線路跡でしょうか。
道路は県道32号線、非常に交通量が多いところです。


イメージ 5

海老トンネルを出ると線路跡と県道32号は重なります。
そして今日最大の難所?稲目トンネルです。
このトンネルは、もともと田口線のものです。
拡幅工事され現在は県道として使われています。このトンネルが出来て車の通行は
大変便利になりました。
ちなみに国道とは稲目トンネルを出た北側で合流します。
国道は今も道が狭く曲がりくねっており、稲目トンネルの方が安全で便利です。
ただ、長さは1511mもあり、暗く排気ガスが充満しており自転車にとっては、いやなところです。
(自転車にとっては難所?)

稲目トンネルを抜けると田峰駅跡で、そこから鉄道跡は道路の対岸に渡っていたそうです。
今回は、この区間はパスして先をいそぎます(次回調べます)。


イメージ 6

国道257号線、清嶺トンネルの南側に田口線の清崎トンネルがあります。
入口付近が崩壊(トンネルの一部自体も)していますし草だらけで、しばらく気がつきませんでした。
枯れ草越しに、よくみると不気味にトンネルが口をあけています。
トンネル内は湧き水?がたまり水没していました。

このトンネルは進入出来ませんので国道、清嶺トンネルを進みます。


イメージ 7

トンネルを抜けると清崎の町です。
画像の道路の左側に97年頃までプラットホームのコンクリートや
駅名表示が残っていたと思います。
(具体的な位置が、どこだったのか詳しくは覚えがありません)

イメージ 8

清崎の信号交差点を越えると直ぐに、このゲートがあります。
国道257号線は、もちろん右です。
このゲートの先が田口線跡です。
ここからは田口線あとを、終点の田口駅まで、ずっと車でたどる事が出来ます。
交通量は少ないのですが道が狭いので注意が必要です。

ここには2月?にアマゴが解禁されると「渓流釣マニア」が押しかけると思われます。
そうすると路肩に無理やり駐車する車も多いでしょう。
今回はすれ違った車は1台のみでした。
それ以外に工事車輌と思われる駐車車輌が数台ありました。


イメージ 9

ゲートをくぐると、いきなり弁天橋です。
画像の右端がゲート方向(長篠側)になります。


イメージ 10

橋を渡ると最後の民家です。この先には田口まで民家はありません。
そして田内トンネルです。
道路左側の表示板が光って読めませんが「トンネル内、段差あり」だったと思います。
実際、トンネル内の路面は悪く、照明もありませんからオートバイ、自転車は慎重に
行ったほうが良いと思います。コルサは念の為、自転車を降りて押していきました。


イメージ 11

田内トンネルを過ぎると築堤になっていました。


イメージ 12

そして入道島第一トンネル(南側)


イメージ 13

入道島第一トンネルを出ると高鉄橋(平野橋)があります。橋の脇から降りていけば、
その名の通り高い鉄橋の写真が取れるそうですが、すでに疲れて気力がありません(笑)
画像は高鉄橋を渡りきり入道島第一トンネル側(長篠方面側)を見たところ。


イメージ 14

高鉄橋を渡るとすぐに入道島第二トンネルです。
画像は南側。


イメージ 15

入道島第三トンネルです。
画像は南側。


イメージ 16

入道島第三トンネルを出ると川沿いの開けた所に出ます。

季節が良ければ気持ちもいいでしょうが、今日は、くもりで気温は約4~5度(寒い)、
疲れもたまってきて・・・
季節の良い時期、車窓から見れば最高だったでしょうね。


イメージ 17

今度は大久賀第一トンネル。画像は南側。


イメージ 18

大久賀第二トンネル。画像は南側。
内部、出口は線路状の鋼材で補強されていました。
トンネルがたくさんあり、かつて乗車した子供達は楽しんだのでしょうね。


イメージ 19

いよいよ、田口駅に到着です。
ネット上の画像で見ていたとはいえ、
倒壊しかかった駅舎の様子を目の当たりにすると、
さびしいものを感じます。

手前側の完全に倒壊している部分が柱の少ない改札口や待合室だったのでしょうか。

線路は駅舎建物の向こう側(画像の右手)、川沿いの、わずかな部分にあったと聞きますが、
見に行ってみると川まで狭く現状からは、ちょっと信じられない感じがします。
線路跡が川側に崩れてしまったのでしょうか。


イメージ 20

駅舎から南側(清崎駅、本長篠駅方向)を見ます。
広々としているのは森林鉄道と接続し木材の積み下ろしが行われていた為と聞きます。

画像の左側、山側には、ぐるっとコンクリートの壁上の構造物があります
(動物の線路内進入防止の為でしょうか?)。


さて、田口駅から田口の街の中心部まで行こうと思います。
よく廃線跡は、傾斜がなだらかで自転車には走りやすいといいます。
実際、その通り、ここまでは順調にきました。

ただ、ここ田口駅から田口の街の中心部までは最初に書いたように(その1)
鉄道を引けなかった約200mの高低差がある事を思い出しました。
しかたありません、昔の田口の人々の苦労を偲ぶため?山道を登っていきます。
田口駅から田口の中心部までは狭い道ですが4輪の通行も問題ありません。


イメージ 21

田口の駅から、線路跡の道を引き返さず田口の町まで、わざわざ登って来たのは訳があります。
田口線で使われていた車輌が田口の郷土資料館に保存展示されているからなのです。
ここまで来て電車を見ないでは帰れません(笑)

やっとの思いで、田口駅から田口の街まで登り、郷土資料館を探すと、
なんと更に山の、てっぺんに登ったところではありませんか(笑)。

まあ、何とか登って、田口線の車輌とご対面です。
現車は大正14年製造だそうです。ちなみに製作は日本車輌でした。


イメージ 22

車輌内部は開放されており、中には資料が展示されています。


イメージ 23

運転席にも入る事が出来ます。
昔の電車の運転席って、こんなに狭かったかな~。
コルサは田口線に乗った事は有りませんが豊橋鉄道渥美線は
ご幼少の頃?からずっと乗っています。
渥美線の車輌も古い物が多かったですね。


以上で、今回の豊橋鉄道田口線のレポートは終わりです。
夏になって草が、おいしげる前に、
もう一度、今回パスした部分を中心に訪ねたいと考えています。

なお、ほとんど当時の状態を残している清崎~田口間ですが近年、ダム建設工事が
進んでおり、ダムが完成すると清崎より北の鉄道跡は水没してしまうとの事です。
ご興味のある方は、そうなる前に訪ねてみる事を、お勧めいたします。

「ああ、あすからは電車はこなくなるのか。
/わたしは、レールにそっとさわってみた。
/この上を、電車は、もうとおらないのだなと思うと、
なみだがでてきた。」
(ほうらい風土記)より

「東三河の歴史 下巻」(郷土出版社刊)の田口線のページを見ると
当時の小学生が田口線が廃止になった日のことを上記のように書いているそうです。
短い文章ですが鉄道を失う山深い町の人々の、つらく、さびしい気持ちが端的に
表されていると思い引用させていただきました。


イメージ 1

コルサは特に鉄道ファンではありませんがサイクリングに訪れる奥三河に残る
豊橋鉄道 田口線 廃線跡には以前から関心を持っていました。
先日、「大熊猫」さんに会うと彼は田口線廃線跡への思いを熱く語ってくれました。
そうなると、俄然、興味がわいてきて、もう訪ねずにはいられません(笑)
残念ながら大熊猫さんは多忙なので一人、抜け駆けして1月14日に行ってきました。

先のとおり鉄道ファンではありませんので詳しいことはわかりませんが
豊橋鉄道田口線の概要について。
昭和4年から一部開通し昭和43年歴史を閉じる。
段戸山御料林を中心とした木材搬出の為、地元の足として、豊川稲荷、鳳来寺山参詣者及び観光客の拡大を願って田口鉄道会社が設立された。(御料林の関係で→)宮内省、豊川、鳳来寺の両鉄道会社で資本金の約8割、残りを地元で負担した。
戦後は飯田線本長篠駅から名古屋鉄道、飯田線への相互乗り入れもあった。
終点、田口駅は田口の中心部から、西に、はなれた寒狭川(高低差約200m距離約3㌔)沿いの谷にあり住民にとっては、せっかくの鉄道も不便だった。
これは田口の街までの高低差という技術、資金的な問題とともに資金の多くを負担した宮内省側の利便性のある位置(木材搬出、トロッコ路線への接続など)を選択した為もあるらしい。

コルサが見て感じた 「2008・1・14 現在」の鉄道跡の現状概要。
・本長篠の駅から橋台、橋脚(県道32号上)の手前までは町道として使われている。通行可。
・橋台、橋脚(県道32号上)から鳳来寺駅までの区間は荒れているようです。ただ駅のホームなどは残っているらしい(今回はパス、4輪の通行は不可)。
・田代トンネル、麹坂トンネル南側までは、歩いて辿る事が出来る(トンネル南側から県道32号に戻れます)。
・麹坂トンネル北側から県道32号線までは荒れている様子。
・県道32号線交差付近から南(バス停、大栗平)は、たどる事が出来ます。
・バス停、大栗平の南側は遊歩道として整備されており問題なく通れます(自転車、徒歩なら)。
・玖老勢の北は一旦、県道32号線と重なり、そのあと町道に分岐しています。海老駅の跡までは車も通れる道になっています。
・海老駅から北も車は通れます。県道32号線に出る前に線路跡(滝上駅)は左にそれていきます。
・稲目トンネル手前で線路跡は県道32号線と重なります。
・稲目トンネルの北側で線路は対岸を通っています。こちらは、かなり荒れているようです(今回、パス)。
・清崎トンネル入口(トンネル内水没、入口一部倒壊通行不可)から国道257号線に迂回して清崎駅跡まで行く事が出来ます。
・清崎駅から北で国道と鉄道跡は完全に分岐し清崎の交差点から北の鉄道跡は狭いですが現在も田口駅あとまで車で通行する事が出来ます。
・田口駅から北の道を登れば田口の町中心部に行く事が出来ます。もちろん、国道257号線に出られます。


イメージ 2

JR飯田線本長篠駅。手前が西、豊橋方面。
田口線は向かって一番左側から発着していたようです。


イメージ 3

長篠駅直ぐ東側に残る田口線の線路跡。
田口線の線路は手前に登ってきます。


イメージ 4

分岐からすぐ、町道、国道151号線を横切り、少し北上すると内金トンネルがあります。

ここで、大変なことに気が付きました。
食料、ケイタイなどは持ってきましたが水筒、工具(予備チューブ)などを車に
忘れてきてしまいました。
万一、パンク等したら大変なので泣く泣く、往復約10キロを走って車まで取りに戻ります。
この時間と体力のロスが後半響いて来ることになります。


イメージ 5

内金トンネルを出ると右に住宅地、左に児童館、神社があります。
その先に進むと、こんな感じ。
「え、道、間違えた?」と思いますが、ここが線路跡のようです。
もう、線路があったとは思えないジャングル状態です。


イメージ 6

先ほどのヤブに突入すれば、ここの上、右側に出られたはずです。
県道脇に立派な橋台、橋脚が残っています。
この先、鉄道跡は県道の西側の山中を通っています。
駅や切通しの跡が残っているとのことですが今回はあきらめます。


イメージ 7

ここが鳳来寺駅があったところです。
中央、車が出ようとしているところを右に行けば鳳来寺山の参道、石段になります。

ここは、私、コルサにも(当時、小学生)、大変賑わっていた記憶があります。
1970年頃~(廃線直後)両親とドライブに良く来ましたが駐車場待が出るくらいでした。
土産物屋、五平餅などを売る店で大変賑わっていました。
その後、東照宮まで車で行ける「鳳来寺山パークウェイ」が出来てからは、こちらの門前町は
急速に寂れてしまいました。
廃線後も駅舎を利用して食堂を営業していたと思います。
画像は立て替えられた食堂ですが現在は営業していない様子でした。
食堂前に田口線の案内板もあったようですが、それも見当たりませんでした。


イメージ 8

鳳来寺駅跡を出発すると、すぐに田代トンネルの入口がありました。
もちろん、通行止めですが、自己責任で通ってみます。


イメージ 9

田代トンネル北側です。
民家の間に、ひっそりとトンネル跡があります。


イメージ 10

田代トンネルの北側は青少年旅行村との事でしたが現在は閉鎖しているようでした。
青少年旅行村の管理事務所への道は、かつての鉄道ガーター橋を利用しているようです。


イメージ 11

ガーター橋を、そのまま、直進すると麹坂トンネル入口があります。
ここは厳重に入口が封鎖されています。
中は真っ暗で、すこし砂利などが散乱しています。
自転車もありますし、さすがにちょっと入ってみる気にはなりません。
少し戻って県道32号線に出て北上します。


イメージ 12

県道32号線を進むと鉄道跡を越えます。
旧道のボックスカルバート?脇から無理やり転がるように鉄道跡に降りていきます。
自転車は、ほとんど投げ落とした感じの急斜面です。
新品のジャージはヤブで少しほころびるし自転車は泥で汚れるし大変です。
ところが!もう少し下ればバス停跡から楽に来る事が出来ました(泣)
ボックスカルバート?より南側(麹坂トンネル側)の線路跡は、こんな感じです。
草が枯れた今の季節なら麹坂トンネルまで、歩けるでしょうか?


イメージ 13

ボックスカルバート?部分。手前は旧道で奥の幅広い方が現県道です。


イメージ 14

バス停「大栗平」。向かって左のバス停裏が鉄道跡です。
ここから行けばボックスカルバート?までは楽々でした。
右は県道32号線ですね。


イメージ 15

ここから、しばらく鉄道跡は遊歩道(右)になっています。
自転車、徒歩なら景色も良く楽しく進む事が出来ます。


イメージ 16

遊歩道の途中、ここが玖老勢駅のあったところです。
画像は北から本長篠駅側(南側)を見ています。
右側の建物あたりが駅舎だったところとの事です(現在、建物は消防団の詰所らしい)。
遊歩道ですが田舎らしくおおらかで民家の前まで車が入り込んだり大根などの作物が
並んでいました(笑)
この先の北側で鉄道跡と県道が、いったん重なります。


イメージ 17

この岩は「三河大石」といい地名にもなっています。
ちょっと信じられませんが、ここから東の棚山(688m)から、転がってきたと伝えられています。
右が旧の伊那街道で左が現在の県道です。
田口線は現在の県道、画像の大石の左側を通っていました。
田口線の工事の際、この大石は削られて昔の半分ぐらい(現在の姿)になってしまったそうです。


イメージ 18

大石から少し北上すると県道から、また分岐します。
鉄道跡は左に下っていきます。
左の田んぼにはサルの群れが遊んでいました。


イメージ 19

分岐の先は鉄道跡が車の道として利用されています。
双瀬トンネルの北側は田口線のトンネルの中でもっとも見事な景観です。


イメージ 20

宮裏トンネルの南側です。


イメージ 21

三河海老駅の南側の立派な築堤。
手前が長篠側、左がすぐ三河海老駅。
築堤の先に画像でも見える大きな建物が建っているので突当りを右に迂回します。
建物の先は広場になっていて昔の車庫跡地です。

ちなみに海老の町は信州と三河(豊橋市)を結ぶ伊那街道の要所でした。
町の中で大きく道が曲がっており「エビ」のようだと言うことで、付いた地名です。
昔は馬宿、旅籠、店が立ち並び、おおいに栄えた街だったらしい。


イメージ 22

三河海老駅のあったところです。
画像は北側(田口側)を見ています。
中央の「トラ柵」の先が鉄道跡です。
ここは大きな空き地になっています。
かつては車庫として、たくさんの電車が並んでいたそうです。
ちなみにバス時刻表をみると平日3本のみ(休日なし)でした。
どうも学生向けのダイヤのようです。
多分、ここから海老の県道まで出ればバスはもっとあると思います。

ここで今回使った自転車について。
私のブログで一番出てくるサイクリング車です。
リッチーのスイスクロスというシクロクロス競技用自転車です。
今回、舗装路重視でロード用車輪(舗装路用軽量タイヤ)に交換しようか悩みましたが
鉄道跡の未舗装区間も多いと考え、結局、オフロード用のタイヤで来ました。
これが、舗装路面の抵抗が大きく速度が上がらず辛かったですね。
反面、未舗装部分は安心して走れたのですが(でも未舗装区間はわずかなので)

さて、田口線廃線跡を本長篠駅から三河海老駅までたどってきました。
ここから終点の田口駅までは、その2に続きます。

このページのトップヘ