コルサの毎日がヒルクライム

カテゴリ: 考古学、歴史 (奈良県、関西)

※今頃アップしていますが連休後半のご報告です。
連休明けから入院治療が(入退院を繰り返すらしい)また始まりました。その為、また、しばらくは遠出が出来そうにないので連休後半は思い切って奈良に行ってきたというわけです。
 
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↑今回は奈良国立博物館にも行きました。
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↑今回は「国宝の殿堂 藤田美術館展」をやっていて多くの国宝、重要文化財を見学することが出来ました。
中でも一番有名な国宝は「曜変天目茶碗」でしょう。
思った通り行列が出来ており、ずいぶんかかりましたが、しっかり見学することが出来ました。
もちろん、館内は撮影禁止で内部の画像はありません。
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↑藤田美術館展を見学した後はレストランで食事。
そのあと、仏像館を見学しました。さすが奈良国立博物館の仏像館です。
これでもか、というほど素晴らしい仏像が収蔵されていました。仏像館には青銅器館も隣接していて見学し終わった後は二人とも疲れ切っていました。
その為、奈良公園でベンチに座りしばらく休憩・・・
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↑しばらく休憩し、やっとある気力が沸いてきたところで興福寺に向かいましたが・・・すでに4時30分を過ぎており国宝館などを見学するのはあきらめました。
画像は五重塔(国宝)
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↑中金堂
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↑南円堂(重要文化財)画像には写ってはいませんが近くには御朱印を求める人が5時過ぎだというのに並んでいました。
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↑北円堂(国宝)、17時過ぎなので、さすがに、ここまで見に来る人はほとんどいません。
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↑三重塔も国宝なのですが、この時間さすがに誰も居ません。
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↑奈良駅まで歩きます。メインどおりはこのとおり多くの人が行きかっていますが・・・
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↑↑、↑賑わうメイン通り沿いにあるのに(建物の間にある)天皇陵に気を留める人はほとんどいません。
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↑時間が遅かったせいか扉が閉まっていました。(開いていてもこれ以上中に入れるわけではありませんが)
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↑奈良の街の中にある開化天皇陵

※奈良国立博物館と興福寺おわり。

今頃アップしていますが連休後半のご報告です。
連休明けから入院治療が(入退院を繰り返すらしい)また始まりました。その為、また、しばらくは遠出が出来そうにないので連休後半は思い切って奈良に行ってきたというわけです。
 
奈良県磐余(いわれ)地区の古墳を見学となるとメスリ山古墳は外せません?
ちょっと変わった名前のこの古墳、とても有名な古墳のはずですが・・・現地に特に案内板が出ているわけでもありませんし見学路も整備されていません。
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↑南側から見たメスリ山古墳。墳丘長224mほどと言われる前方後円墳です。ただ大きいというだけではなく造られた時代は古く4世紀前半と考えられていて大和政権成立を考えるうえでも重要な古墳とされています。
画像の右が後円部で左が前方部になります。後円部の高さが19mに対し前方部は8mほどと言われ、かなり高さに違いがあることが画像でもお分かりになるかと思います。(前方部は背の高い木が少ないので高低差が余計に強調されているようですが)
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↑見学路は整備されていませんが後円部の北側から登っていくと・・・平らな後円部の上に出ます。
登る途中には後円部の3段築成や葺石の様子が観察できます。(前方部は2段築成らしい)
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↑後円部墳頂中央には竪穴式石室があり今も8枚の天井石を見ることが出来ます。
また、今は観察できませんが、この古墳が有名なのは、この石室を方形に取り囲む大型円筒埴輪列が発見されていることです。その円筒埴輪は直径が70~80cmと大型で中には90cmを超えるものも見つかっています。
それらの大型円筒埴輪は桜井市立埋蔵文化財センター、橿原考古学研究所などで見ることが出来ます。
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↑石室の天井石の傍らで資料を調べる弟子。
石室は盗掘されており、ほとんど遺物は知られていないようですが未盗掘の竪穴式副石室が発見されていて、中からは多くの武具が出土しています。副石室が発見されたのは主石室(画像で見えている)の東側とのことですから弟子が立っているあたりかもう少し左側ぐらいかもしれません。
 
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↑谷首山古墳からメスリ山古墳に向かう途中撮影。住宅街にありますが後円部の木々が見えています。

今日の古墳巡りは、これにて終了。
数回にわたって、ご紹介してきたように、このあたりの古墳は石室を観察出来たり古墳時代前期の大王クラスの巨大古墳(メスリ山古墳)があったりと充実した古墳巡りだったと思います。(阿部文殊院で国宝の仏様も拝観したし)
このあたりでは、まだ、少し東に行くと桜井茶臼山古墳、舒明天皇陵とされる忍坂段ノ塚古墳、石室の中に石棺が今も残る赤坂天王山古墳などもあります。機会があったら、ぜひ弟子に見せたい古墳たちです。

※今頃アップしていますが連休後半のご報告です。
連休明けから入院治療が(入退院を繰り返すらしい)また始まりました。その為、また、しばらくは遠出が出来そうにないので連休後半は思い切って奈良に行ってきたというわけです。
 
次に見学したのは谷首古墳の更に南側にある、コロコロ山古墳。
説明版もありましたが傷んでいて自分は読み取る気力もなくすほどでした。ただ、弟子が何とか読み取り、しっかりメモってくれたので参考にブログ記事を書きました。
 
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↑コロコロ山古墳は1984年に古墳であることがわかり発掘調査されたとのことです。また、もともと、この位置にあったのではなく移築だそうです。そう聞くと急に興味がなくなりそうですが実は、ここの古墳も見た目から想像するより立派な石室があり見学する価値があります。
この古墳、書籍などにも取り上げられているのを、ほとんど見たことがないので弟子が何とか読み取って書き留めてくれた概要を記しておきます。
「古墳は一辺30m、高さ3mの方墳で埴輪や葺石はありません。中央の横穴式石室は全長11m、玄室長5.5m、羨道長5.5m、幅1.5mを測り大型の横穴式石室です。東隅に小型小石室もありました。天井石は取り去られていたためコンクリート屋根を付けて保存しました」
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↑フェンスはありますが、いつ来ても施錠はされておらず石室の見学は可能のようです。
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↑身長155cm越し?の奥壁。
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↑大きな一つの石で奥壁が造られています。画像左の側壁をみると、、もう一段奥壁に石が積まれていた可能性もありそうですが。玄室全体が大きなブロック状の岩を積み重ねている様子がわかります。
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↑玄室内部から外を見たところ。両袖式の玄室であることがわかります。
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↑墳丘の南西側には大きな岩も置かれていました。この岩は何なのか?どういう意味を持つのか?
そう言えば説明文に「東隅に小型小石室もありました」と書かれていましたが、どうなっているのか現地で確認し忘れました。
ただ、この岩の置かれている位置は・・・南西方向でしょうか。
 
※このあたりの古墳に詳しい方なら、この流れ、次にどこの古墳に行くのか、もうお分かりかもしれませんね!、そう、ここまで来たら、あそこしかありません?()

※今頃アップしていますが連休後半のご報告です。
連休明けから入院治療が(入退院を繰り返すらしい)また始まりました。その為、また、しばらくは遠出が出来そうにないので連休後半は思い切って奈良に行ってきたというわけです。
 
阿部文殊院、くさ墓古墳の後は近くの谷首古墳に行きました。
ここも立派な石室があるので弟子を連れて行きたかったのです。
場所は阿部文殊院の、すぐ南側に位置しています。

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↑谷首古墳は羨道の一番手前の天井石が崩れており開口部は狭く見えます。
これ以上、崩れないことを祈って中に入らせてもらいます。
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↑順番が逆になってしまいましたが谷首古墳の全景です。南側に横穴式石室が開口しています。東西35m、南北38mの方墳で6世紀末から7世紀の初めに作られたと考えられているそうです。
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↑入り口は狭いものの崩れた天井石をくぐれば大きな石で組まれた広い羨道があります。画像左側天井近くに石二つが羨道にせり出してきているのも若干不安を感じさせます・・・
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↑中から見た羨道部分。かなり広い羨道部分を持ちながら入り口の天井石が崩れていることによって外から狭く見えることがわかります。
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↑この画像では左右に、しっかり袖がある両袖式石室のように見えますが向かって左の袖は画像で見るほど飛び出してはおらず「片袖式とも言いうる」と案内板にも書かれていました。
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↑奥壁は二石を積み上げて構成されています。弟子の身長は155cmですが・・・石室内部がずいぶん高いということががわかると思います。(資料によれば高さは約4mほどあるとのこと)
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↑石室の石組の様子。
 
※まだまだ、古墳巡りは続きます。

※今頃、記事をアップしていますが連休後半のご報告です。
連休明けから入院治療が、また始まります。そうなると、しばらくは、また遠出、出来そうにないので連休後半は思い切って奈良に行ってきました。


安倍文殊院で国宝の仏様を拝観したり古墳を見学した後は、すぐ近くにある「艸墓(くさはか)古墳」に弟子を連れて行きました。
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↑ここは標識は出ているものの行き止まりの狭い道の奥、民家の玄関近くから入るので初めてでは、すんなりと見つけることはできないかもしれません。(私は以前迷ったものの行ったことがあるので・・・)
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↑民家の排水管でしょうか?「古墳」と書いてありますね!入り口を見つけても、こんな狭い民家の間でいいのか、と不安になります。
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↑民家の裏に石室が開口していますが・・・最近、墳丘が崩れたようで復旧工事中、石室内への立ち入りは禁止されていました。
私が、すごい石室と石棺が見られると、さんざん話してきたので楽しみにしていた弟子も、これには茫然・・・
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↑私が以前訪れた時は、その名のとおり?草におおわれた墳丘でしたが近年、一部が崩れてしまい応急処置がされているようです。
墳丘は長方形の方墳で長辺約27m、短辺約21mほど、7世紀前半の築造と考えられているそうです。
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↑↑、↑以前撮影した石室内部の様子をアップしておきます。
見事な刳抜式家形石棺がおさめられています。石棺は兵庫県の竜山石で出来ているのだそうです。
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↑↑、↑石棺奥側には盗掘坑があります。石棺の内部には、なぜか握りこぶし大の石が転がっています。
石棺の内部には「のみ」の跡らしき痕跡も残り、また蓋が若干ドーム状に削られている様子も見えます。
 
周辺には、まだまだ古墳があります。次はどこを案内しましょうか?
 

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