コルサの毎日がヒルクライム

タグ:自転車

当ブログは下記に引っ越しました。
今後ともよろしくお願いいたします。
※7月7日時点では「引っ越し準備中」および「新規記事はアップ準備中」です。
 
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※画像は『下野康史(かばたやすし)の「自転車で行こう!」』、
の「引っ越し前のブログ」画像をヒントにさせていただきました。
 
「引っ越し前のブログ」
「引っ越し後のブログ」

先日、世界的モールトンコレクターのA氏に、K氏の紹介で、お会いすることが出来ました。A氏はモールトンを、ただ集めるのではなく多くのモールトンファンに公開する場所を設けたいとのことでミュージアムを準備中です。
その準備中のミュージアムを一足早く拝見させていただくことが出来ました。
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↑打ち合わせ中?のA氏、K氏。この場所に約60台のモールトンが収蔵されていました。さらに超貴重なモデルたちは、また別の場所の保管されています。
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↑まだ公開に向けて準備中の為、いろいろな機材が置かれたままになっていました。間仕切りの奥にはモールトンの貴重なモデルのレプリカ、BSモールトンなどがありました。

小径車に使っていたシマノSPDペダルをDEORE XT PDT780からDEORE XT PD―8000に交換しました。
DEORE XT PDT780に大きな不満があったわけではないのですがSPD対応ではないスニーカーで乗る際、靴底が滑ってしまうことが若干気になっていました。
DEORE XT PD―8000を見るとDEORE XT PDT780になかったスパイクピンが装着されており「これだ!」と思って交換してみました。
使ってみるとSPD対応ではないスニーカーで乗った際、ゴム底がスパイクピンで滑ることなく安定しとても乗りやすくなりました。
早速、もう1台も交換して愛用しています。
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↑↑、↑上側DEORE XT PDT780、下側DEORE XT PD―8000です。
DEORE XT PDT780にスパイクピンが装備されたぐらいに思っていましたが実際、比較してみると下側のDEORE XT PD―8000踏面が大きく拡大されていることがわかります。
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↑改めて比較。左側DEORE XT PDT780、右側DEORE XT PD―8000です。
この画像ですと、なぜか更にDEORE XT PD―8000の迫力が感じられます。
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↑スニーカー踏面には前後合計8本のスパイクピンが埋め込まれています。
このピンががっちり靴底をとらえペダリングを安定させます。
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↑ペダルにはクリートと更に長いスパイクピンが付属していました。
スパイクピンの長さは購入時に装着されているスタンダードタイプで今のところ不満はありません。
クリートは付属しているタイプではなく、しっかり固定されるタイプが好みです。
ずっと使用しているシューズにクリートが装着されているので、そのまま使うことにします。

今頃アップしていますが連休後半のご報告です。
連休明けから入院治療が(入退院を繰り返すらしい)また始まりました。その為、また、しばらくは遠出が出来そうにないので連休後半は思い切って奈良に行ってきたというわけです。
 
奈良県磐余(いわれ)地区の古墳を見学となるとメスリ山古墳は外せません?
ちょっと変わった名前のこの古墳、とても有名な古墳のはずですが・・・現地に特に案内板が出ているわけでもありませんし見学路も整備されていません。
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↑南側から見たメスリ山古墳。墳丘長224mほどと言われる前方後円墳です。ただ大きいというだけではなく造られた時代は古く4世紀前半と考えられていて大和政権成立を考えるうえでも重要な古墳とされています。
画像の右が後円部で左が前方部になります。後円部の高さが19mに対し前方部は8mほどと言われ、かなり高さに違いがあることが画像でもお分かりになるかと思います。(前方部は背の高い木が少ないので高低差が余計に強調されているようですが)
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↑見学路は整備されていませんが後円部の北側から登っていくと・・・平らな後円部の上に出ます。
登る途中には後円部の3段築成や葺石の様子が観察できます。(前方部は2段築成らしい)
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↑後円部墳頂中央には竪穴式石室があり今も8枚の天井石を見ることが出来ます。
また、今は観察できませんが、この古墳が有名なのは、この石室を方形に取り囲む大型円筒埴輪列が発見されていることです。その円筒埴輪は直径が70~80cmと大型で中には90cmを超えるものも見つかっています。
それらの大型円筒埴輪は桜井市立埋蔵文化財センター、橿原考古学研究所などで見ることが出来ます。
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↑石室の天井石の傍らで資料を調べる弟子。
石室は盗掘されており、ほとんど遺物は知られていないようですが未盗掘の竪穴式副石室が発見されていて、中からは多くの武具が出土しています。副石室が発見されたのは主石室(画像で見えている)の東側とのことですから弟子が立っているあたりかもう少し左側ぐらいかもしれません。
 
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↑谷首山古墳からメスリ山古墳に向かう途中撮影。住宅街にありますが後円部の木々が見えています。

今日の古墳巡りは、これにて終了。
数回にわたって、ご紹介してきたように、このあたりの古墳は石室を観察出来たり古墳時代前期の大王クラスの巨大古墳(メスリ山古墳)があったりと充実した古墳巡りだったと思います。(阿部文殊院で国宝の仏様も拝観したし)
このあたりでは、まだ、少し東に行くと桜井茶臼山古墳、舒明天皇陵とされる忍坂段ノ塚古墳、石室の中に石棺が今も残る赤坂天王山古墳などもあります。機会があったら、ぜひ弟子に見せたい古墳たちです。

※今頃書いていますが連休中のご報告です。アップが逆になっていますが入院前のネタです。
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429日は名古屋の熱田神宮にお参りに行ってきました。
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↑平成最後の熱田神宮お参りということなのか連休中ということなのか、ずいぶん賑わっていました。
(お参りだけではなく平成の年号の入った御朱印をもらう目的の人が多かったらしい)
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↑本殿を、お参りした後は「お清水」へ。
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↑最近、パワースポットとしてTVなどで取り上げられることも多いので、こちらは長い行列。
お参りにはずいぶん時間がかかりました。
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↑賑わう宝物館を見学して信長塀を見ます。桶狭間の戦いの戦勝祈願をし大勝した織田信長が寄進したもの。
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↑「お清水」に並んだり宝物殿を見学したりで、ずいぶん遅めの昼食になってしまいました。
境内にある「宮きしめん」さんで昼食。これは「白玉、とり天入り?きしめん」だったか?
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↑↑、↑それでも空腹を満たせず()熱田神宮会館にて弟子は「きよめ餅」+「お抹茶」セット、私は「ぜんざい」をいただく。
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↑見事な飲みっぷり?の弟子。もちろん、お酒ではなくて抹茶ですけど()
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↑↑、↑境内の「ならずの梅」を眺める私。
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↑熱田神宮境内になぜか土偶??
縄文時代や土偶に興味がある人なら絶対にピンとくる超有名な遮光器土偶!なぜ、境内に?これは名古屋眼鏡商業協同組合が組合60周年記念に縄文時代の眼鏡???遮光器をつけたとされる有名な土偶を復元製作し顕彰碑とし建立したもの。

もう、夕方になってしまいましたが、この後は、かつて熱田神宮の管理地であったという古墳を見学に行きます。

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